文=コラムニスト?陳言
中國の高速鉄道を前にして、日本人は新幹線の“事故百出”の歴史を忘れてしまったようだ。高速鉄道を“海賊版”だと非難し、かなりメンツを失ったと自覚した日本はこぶしを高くかかげているが、さて、どこに向かって打つのだろうか。
一種の極めて強烈な中國高速鉄道の“海賊版論”がこのところ、日本の大手メディアの間で繰り返し議論されている。
新幹線の絶対的安全と中國高速鉄道の事故、新幹線の獨自開発と中國高速鉄道の海賊版、という情報がメディアに何度も登場している今、日本の大多數(shù)の人は、47年前に東京?大阪新幹線が開通した後に、彼らのメディアがこれをどう報道したかはすでに忘れているだろうが、見れば、非常に安定を欠いた“無用の長物”というものだった。歴史をひも解かなくとも、これらの故事はしっかりと覚えられるものであり、恐らくすでに70か80歳になっているだろうが、この年齢の人はもうメディアにあれこれ書いてはいないだろう。
◇頭の痛い新幹線
アジアで初めて開催されるオリンピックの10日前、1964年10月1日の日本、東京と大阪の間に新幹線が正式に開通した。
喜びと不安が併存していた。當(dāng)時、日本は時速200キロ以上で走る列車の線路を新幹線と呼んでいた。普通車が40?50キロ、やや速い列車が80?90キロで走っていたころ、いきなり200キロ以上の列車が登場したことに、人びとは一種の技術(shù)革新がもたらした喜び、そして大きな不安を感じ、事故が起きるのではと恐れた。
「最初の列車は987人乗車可能、今日の乗客は730人」。47年前の日本の新聞は、新幹線一番列車の乗車狀況をこう報じている。
世論の間では、新幹線に対する不信と不安が非常に多かった。著名な作家の阿川弘之氏は日本の鉄道事情にかなり明るかった。日本國がすべての國力を傾けて建造した戦艦大和は45年4月7日に米軍の爆撃を受けて沈沒、これが日本敗戦の最初のシグナルだった。阿川氏は、「新幹線は日本の第2の戦艦大和」だとし、日本に巨大な損失をもたらすだろうと語っている。
64年の冬、東京発大阪行きの新幹線が関が原のあたりを通過中、雪がかなり積もっているのを発見。車両設(shè)計などの面で大雪の問題は十分研究されていなかったため、この區(qū)間で事故が続出した。
新幹線は輸送上の安全を確保するため、すべて高架方式を採用、全線踏切はない。地震多発という問題を忘れていたようだ。
95年1月17日、阪神淡路一帯で大地震が発生し、高架橋の一部が倒壊したため、新大阪と姫路區(qū)間ではその後、84時間も列車の運行ができなかった。幸い、地震が起きたのは明け方の5時46分。列車運行の時間帯で、高速走行の新幹線が高架橋の倒壊に遭遇していたとすれば、その結(jié)果はとても想像できない。
04年10月23日、新潟県中越地方で強い地震が発生。この時、上越新幹線(大宮?新潟)は運行中で、高架橋が損壊したほか、トンネルでも問題が生じた。幸いに走行中の新幹線は、阪神淡路大震災(zāi)から教訓(xùn)を汲み取っていたため、列車は脫線せず、死傷者も出なかった。
「飛行機や汽船に乗る際には名簿が必要だが、新幹線の切符を買う場合はどんな証明書類も要らないし、乗車後も何の検査もない」。中國の地下鉄や高速鉄道に乗る際の検査に慣れている林さんは、新幹線に座った時、多少満足そうに語った。
「もし、テロリストによって混亂すれば、非常に恐ろしい」。林さんは、日本は毎日のように、ある國が日本にテロを仕掛けると騒ぎ立てているが、新幹線に乗ったところで、何の防備もないと、今度は心配そうな顔で語った。今後、テロリストにすき與えないことが、新幹線の重要課題になるかも知れない。
◇高速鉄道に気まずさ