◇二重人格 2つの顔を持つ
そればかりか、反対派は小沢氏の消費稅問題における二重人格と態度を批判している。小沢氏は有権者の気を引き、票を獲得するため、「反消費増稅」の旗を掲げて民主黨に代わって政権を獲得しようとする一方で、増稅の主張も積極的に後押しした。それが最も明らかなのは5年前だ。當時新進黨の黨首だった小沢氏と首相だった福田康夫氏は「保保連合」を組み、両黨が消費稅問題で同じ立場を取る構想を打ち出した。どの政黨も増稅に觸れれば選挙で敗北し、國に不利になるためである。
小沢氏の言うこととすることが違うのは、消費稅問題に限ったことではない。20年近くにわたって、彼は「新黨」「新風」「新息吹」の「新政」を提唱する一方で、「金権政治」とも縁を切ったことはなかった。正確に言えば、小沢勢力が衰えなかったのは、彼が田中角栄氏の「カネと數(議員數)」という政治力學を継承し、「集金術」を學んだ結果である。これが、小沢氏と金銭スキャンダルの間に切っても切れない縁を築くことになった。
◇汚い水で沖積した土砂を流すことは可能か
1993年、自民黨の中心にいた小沢氏は親しい議員を率いて離黨し、新黨を結成した。その目的は政局の安定であり、新しい期待と幻想を抱き続ける日本の主流メディアは政治の大変革を喜んだ。ある大手メディアはコラムの中で小沢氏を「汚い水」にたとえ、「水が流れさえすれば川底をきれいにすることは可能だ。川底に沖積した土砂を流すためなら、汚い水を使ってもいいだろう」と論じた。
20年が経ったが、この「汚い水で沖積した土砂を流す」理論は日本の政界と世間からまだ消えていない。「カレーライス」と言われる自民黨と「ライスカレー」と言われる民主黨の違いを、日本の主流メディアやフォーラムの有識者はよくわかっている。それでも、20年近く、主流メディアは実際の內容がない「両黨制」の出現や日本の変化を喜んできた。その原因を探ると、汚い水で沖積した土砂を流す」理論は今も潛んでおり、汚い水(20年近く「改革」や新黨結成を目指してきた小沢氏を中心とする)は自民黨に長期にわたって沖積された土砂を流してきたことがわかる。ところが裏を返せば、小沢氏を中心とする「新政」には、「國論二分」のもとで、日本の政局が「自民黨と社會黨による保守派と改革派が対立していた狀態」から「自民黨と民主黨の2つの保守黨が交代で主導権をとる狀態」に変わるという最大の特徴がある。
◇民主黨は明らかに最大の敗者