1945年8月15日、野蠻な侵略戦爭を引き起こし、中國などのアジア諸國に大きな災難をもたらした日本は無條件降伏した。8月15日は中日関係において特別で敏感な日であるとともに、特に用心深くならなければいけない日でもある。
日本の野田佳彥首相は10日、自身と閣僚が「靖國神社を公式參拝しない」方針に従うことを表明した。ところが同日、羽田雄一郎國土交通相は、8月15日に私的に參拝する考えを明らかにした。また、松原仁國家公安委員長も參拝を示唆している。
靖國神社には東條英機ら14人の第二次世界大戦のA級戦犯が祭られており、參拝は何を意味するのか。あからさまな歴史の歪曲、道理を踏みにじる行為に「公式」「非公式」の違いはあるのか。「私的」という人を騙すでたらめな言葉を誰が信じるのか。
一國の政府は、國際社會から尊重され信頼を得たいのであれば、誠実でなければならない。閣僚が政治道徳のぎりぎりラインに絶えず挑めば、信頼を得ることなどできるだろうか。
日本政府が靖國神社の參拝に関して閣僚を「管理」するのは、まず「國際関係」のためである。もっと直接的な言い方をすれば、そのような行動が中國や韓國などのアジア諸國との関係に影響することを恐れているためだ。ところがこの理由は、一部の政治家が頑なに參拝を押し通す原因も示している。これらの政治家にとって、日本政府のこのような行為は外交関係によって強いられたもので、外部の圧力によるものにすぎず、歴史観とは関係ない。そのため、超えてはならない政治道徳のぎりぎりラインなど存在しない。
靖國神社參拝問題は「國際関係」だけでなく、世界の政治、道義の問題でもあり、アジアの平和と安定に直接かかわる。基本的な道義の準則を失った國が隣國と調和よく付き合い、地域の発展や安定に貢獻することなどできるだろうか。
8月15日は、日本の政治家がこざかしく振舞う日ではない。
「中國網日本語版(チャイナネット)」2012年8月14日