第二次大戦の勝利の成果を守るため、まず戦爭責任および是非の問題を明確にする必要がある。國際社會は戦後、ドイツのファシストと日本の軍國主義による戦爭の罪を裁く、國際軍事裁判所を設置した。これは被告に対する判決と刑罰のためだけではなく、國際的な裁判を通じて獨日の戦爭指導者の戦爭犯罪を系統的に調べ、政府が宣伝していた戦爭の理論を信じて疑わなかった獨日の國民に戦爭の真相を理解させるためだった。特に裁判で提起された「平和に対する罪」と「人道に対する罪」は、國際法の革命だ。その法理は戦後すでに普遍化しており、世界の政治および國際法の発展に大きな影響を及ぼした。
第二次大戦の勝利の成果を守るためには、國際社會で平和を維持し、侵略を批判する効果的なメカニズムを形成する必要があった。これは國連、そして國連を中心とする國際秩序だ。現在の深く変化する國際情勢を前にして、圧倒的多數の國は次のことを意識している。協力とウィンウィンを軸とする新型國際関係を構築しなければ、さまざまな脅威と課題により良く対応し、人類の平和と発展を促進することができない。
戦後初期のドイツは経済再建を重視し、ナチスの歴史の清算にあまり関心を寄せなかった。しかしドイツの司法界はナチスの戦犯の責任を追及し続けた。イスラエルやユダヤ人組織を始めとする外部の勢力による圧力、および若い世代による前の世代の戦爭責任の追及により、ドイツ社會についに変化が生じた。ドイツの政治家は大所高所からものを見ることで、ドイツ人が自らの不幸な境遇を罪深きナチスの統治のせいにすることを願った。これは誠に見上げたことだ。政治家の態度はドイツ人の歴史への疑惑を解消し、世界の世論から賞賛され、ドイツの國際的なイメージに落ちた影を払拭した。
戦後の日本社會の歴史認識も、曖昧な戦爭責任から軍國主義の戦爭の指導者の責任追及へ、戦爭の被害の強調から戦爭の加害への反省へという移り変わりを経た。村山富市元首相は戦後50年談話で、戦爭への反省と謝意を表した。しかし殘念なことに、それまでそのような態度を示した首相は一人もいなかった。その後の日本の政治家はあいまいな態度を取るか、もしくは公然と侵略戦爭の責任を否定した。戦爭責任を明確に反省する政治家が批判され、人身攻撃にあうことになった。戦後70年を控え、一部の政治家は村山談話の原則を意図的に薄れさせ、戦後日本の國際貢獻とやらを強調している。日本の政治家のこれらの言行は、日本社會が戦爭責任を正確に認識することを妨げている。日本が過去の戦爭責任から逃れようとし、単純に「未來志向」するならば、第二次大戦の勝利の成果に完全にもとる。アジア諸國の人々からの理解と信頼を得られず、アジアに戻ることもできないだろう。(筆者:歩平 中國社會科學院近代史研究所研究員、中國抗日戦爭史學會會長)
「中國網日本語版(チャイナネット)」2015年6月14日