――「談話」発表當時の日本國內はどのような反応でしたか。また、隣國の反応は。
村山 日本國內では賛否両論でした。個人的にはだいぶ非難を受けましたね。しかし、中韓両國は歴史問題に対して決著がついたと大きな評価をしてくれました。その後訪中した時には、行く先々での歓迎のあいさつの冒頭で、必ず「談話」について觸れられ、「中日関係にいいことをしてくれた」と賛意を示されました。また、私のあとに続いた內閣も、「村山談話」を継承すると世界に約束をしていますし、何人かの首相による靖國神社參拝が問題視された時にも、「談話」の抑止効果か歴史問題に言及されるまでのトラブルには発展しなかったため、やはり「談話」を出して良かったと改めて思いました。
ただ、日本國內では私に対する非難が強かったですね。「日本はもう謝罪をしたのに、なぜ何回も謝らないといけないのか」と。
また、「あの植民地支配と侵略は、かつて歐州の國がアジアに対してやってきたことと同じだ。むしろ歐州の侵略に対する防衛として戦ったもので、終戦後は植民地が全て解放されたのだから、あれは植民地の解放戦爭である」と、謝罪そのものを否定する人もいました。
しかし私は、謝ることが目的だとは決して考えていません。歴史の事実を率直に認め、悪かったことは真摯に反省し、謝罪をし、そしてこんな過ちを二度と繰り返さないという決意を表明してこそ、日本が明るい未來を迎える。これが「談話」の筋です。
確かに過去に首相が被害國を訪問する際、個人的に謝罪した例はありますが、閣議で決めた「談話」とは、やはり重みが違います。だが殘念なことに、ほとんどの國民に知らされることもなく、正直、當時の日本では「村山談話」はあまり評価されませんでした。それにほとんどの國民は無関心でした。今になって「村山談話」とは何だと私に聞きにくるほどですから。