▽在中日本人反戦同盟のことを一生忘れない
1945年に日本が降伏した後、小林さんは解放戦爭に參加した。新中國成立後は、東北地域、済南市政府外事弁公室などで働いた。1953年、小林さんは內(nèi)モンゴル豊鎮(zhèn)人民病院の副院長になり、それから2年後の1955年12月18日、組織の手配により、船で日本に帰國した。
日本に帰った後、小林さんは組織の工面したお金で東京で不動産を購入し、遠洋商船の中國語通訳の仕事を得た。仕事をする一方で、小林さんは中日友好にも取り組んできた。1967年、日本に帰國した日本人八路軍?新四軍の退役軍人の組織が結成された。これが日本八路軍?新四軍戦友會だ。小林さんは3代目の會長を務めた。今も健在の日本人八路軍は小林さんと、初代會長の前田光繁さんのみだ。
2005年、小林さんは中國政府の招きを受け、日本の元兵士訪中団代表として訪中し、抗日戦爭勝利60周年記念大會に出席した。
小林さんは、「中國の抗日戦爭は、中國の近代史において最も偉大な民族解放戦爭であり、世界反ファシズム戦爭の重要な一部である。中國の抗日戦爭に參加したのは中國國民だけではない。特殊な國際主義部隊--在中日本人反戦同盟も含まれる。私たちは中國國民と肩を並べて戦い、血を流し、犠牲を払い、中國の抗日戦爭のために努力と貢獻を果たした。私は反戦同盟における生活と戦いの日々を忘れることができない」と語る。(編集SN)
「人民網(wǎng)日本語版」2015年9月2日