國民の學力が大幅に低下、教育の負擔が中産階級の出生率を抑える
ゆとり教育により教育の供給が公立から私立に移ったとするならば、教育費は受益者負擔の原則が採用された。一家総出の子育ては必ずしも有害ではないが、日本政府は次の2つの弊害によりゆとり教育を放棄した。
まず、國民全體の學力が年々大きく低下した。4年に1度の國際學力調査(PISA)で、日本の1999年の數學的応用力と科學的リテラシーはOECD15カ國で1位、読解力は8位だった。2003年には數學で順位を5つ落とした。2007年には科學が6位、數學が10位、読解力は最下位の15位に落ちた。日本國內で近年行われた別の調査によると、小學生4人中1人が「平均」の意味を理解できないという。大學生の教育基本調査も、楽観を許さない結果となった。日本の高校では中學校の內容を補習し、大學1年時には高校の內容を補修するという現象が一般的になっている。
ゆとり教育は最低ラインを引き下げたが、最も優秀で勤勉な學生に対して、國レベルの教育支援をまったく行っておらず、さらには名譽を與えていない。ゆとり教育が大規模な競爭、受験勉強、選抜に反対しているからだ。頑張って學習し抜きん出ようとしても認められず、ゆとりでストレスがたまらない程度が正當である。この最低ラインよりも上を目指すならば、自分ですべてのコストを負擔しなければならない。
次に、ゆとり教育により家庭の支援が、受験戦爭の勝敗を左右する決定的な要素になることは、すでに分析した通りだ。経済的に余裕のない家庭は入場券を購入できず、余裕のある家庭は最高の私立教育を購入できる。ところが受験戦爭で最大の負擔を強いられているのは、日本の中産階級だ。彼らは次の世代に教育を受けさせ、この階級を維持するかさらに上の階級を目指すという、最も強い願いを持っている。そのため家庭の教育費が上がるほど、中産階級の出生率が低下する。この國の教育の供給を空洞化させる政策は最終的に、中産階級の出生率を抑えるようになった。長期的に見ると國の礎を蝕むことになるが、これは當初ゆとり教育を策定した政治家には想像できなかった可能性が高い。
「中國網日本語版(チャイナネット)」 2017年4月13日