寫真は、日本の各界から集まった數千人が開いた、改憲反対の集會
安倍晉三首相は、日本の平和憲法を改正する決意を固めている。安倍首相は一貫して、現行の平和憲法は戦後に米國を中心とする占領軍が日本に押し付けたものであり、日本人は自國の憲法を自らの手により作るべきだと表明している。安倍首相は5月1日、「中韓などのアジアの隣國からの反応は、日本の改憲の進展に影響を及ぼさない。これは日本自身の憲法であり、一つ一つ外國に説明する必要はない」と述べた。
それでは、平和憲法は本當に安倍首相の言う通り、戦後に米國を中心とする占領軍が日本に押し付けたものであり、日本が自ら制定し実行しているものではないというのだろうか。歴史を振り返れば、事実が決してそうでないことが分かるだろう。
1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受け入れ無條件降伏し、米國を中心とする連合國軍が日本に進駐した。ポツダム宣言の精神に基づき、戦勝國は日本國內の軍國主義の殘がいを徹底的に取り除き、日本が戦爭を行うための能力を解除し、日本に民主的な改造を行う権利を持つ。これは日本がかつての明治憲法を放棄し、平和?民主の精神を持つ新憲法を制定しなければならないことを意味する。しかしながら、當時の日本の政界は戦前の軍人?政治家?學者などの勢力、および侵略戦爭を仕掛けた張本人によって支配されており、彼らが新たな憲法を制定することには期待できなかった。
初めに憲法制定を開始したのは、東久邇宮內閣の國務大臣だった近衛文麿だ。この戦前の大軍閥が憲法制定に夢中になったのは、思想面で生まれ変わったためではなく、これにより占領軍からの戦爭責任に関する追究を逃れようとしたためだ。その後、日本は幣原喜重郎內閣の松本烝治國務大臣を中心とする「松本委員會」を発足し、新憲法の制定を擔當させた。松本委員會は新憲法を制定するべきか、いかに制定するべきかについて議論を重ねたが、提出されたプランは天皇を中心とする舊體制を放棄しなかった。