歴史観と戦爭観は人間の基本的な価値観の一つである。しかし、日本の右翼政治家は歴史観と戦爭観において、「共通の価値観」を持つ米國の盟友の最低ラインに觸れている。
日本の安倍晉三首相の「侵略の定義は定まっていない」という発言は、世界から非難された。米國議會調査局は先ごろ発表した報告の中で、安倍首相は歴史において修正主義者の見方を持ち、強固なナショナリストだと指摘した。また、安倍首相の歴史問題における言動は地域関係を壊し、米國の利益も損なうことになるとの懸念を示した。
これについて安倍首相は、同報告書は米國政府を代表するものではないと表明したうえで、米國のアーリントン國立墓地の參拝を引き合いに出し、靖國神社參拝は大したことではないとの見解を示した。しかし、靖國神社とアーリントン國立墓地の性質はまったく異なるため、これは自分にとっても他人にとっても噓である。
1. アーリントン國立墓地は、南北戦爭の戦沒者を葬り、內戦でできた民族間のひびを埋めるために作られた。一方、靖國神社の前身である東京招魂社は明治時代の內戦や西南戦爭で犠牲になった官軍兵士の慰霊のために作られたもので、官軍と戦った6000人以上の亡霊は慰霊の対象になっていない。1965年になってようやく、神道の「荒魂」を鎮めるという考えに基づいて小さな鎮霊社が建てられた。ここから、日本の神道では「人は死ぬと仏になる」のでなく、政治によって厳しく分けられることがわかる。