文=奧井禮喜
國と國との関係は、歴史的にみれば対立と依存の関係である。一方でグローバルという言葉が喧伝される。それは間違いなく依存関係へ傾斜したのである。世界の進歩とは対立を克服して(相互)依存=協(xié)調(diào)を歩むことだ。
資本主義経済においては、どうしても損得の罠から抜け出せない。それは國家間においても同様である。だから協(xié)調(diào)を作り出すために知恵と実踐を積み重ねるのが國內(nèi)外における政治家(外交當(dāng)局)の任務(wù)である。
都知事は國益を考えて行動しているのかどうかまことに怪しい。小泉內(nèi)閣時代、日中関係は政冷経熱といわれた。小泉氏の靖國參拝問題が主たる原因であった。しかし都知事の行動は領(lǐng)土問題に直接手を突っ込んだ。
日本は1895年尖閣諸島を日本領(lǐng)として沖縄県に編入した。これは事実である。ただし、それに関して他國が異議申し立てをしているのもまた事実であって、「領(lǐng)土問題はございません」というのは國內(nèi)でしか通用しない。
外交當(dāng)事者でない都知事が、ついでに言わせてもらえば政治家としてのほぼおしまい時期に至って、決定的に冒険主義的蠻勇を奮ったのである。いわば「殿、ご亂心」の類であるとしか表現(xiàn)できない。
領(lǐng)土問題のような敏感にして重要な案件について、関係國が対立する主張をする場合、仮に雙方が相手國を無視して自分の理屈のみを押し通そうとすれば、不測の事態(tài)が発生する危険性が高い。
當(dāng)事國雙方が、自國民が不測の行動をやらかさないように統(tǒng)制し、以て相手國に対しての責(zé)任を持たねばならない。単純なメンツ合戦に陥ることなく、日中関係の発展を前提とした外交を展開してもらいたい。
幸い(というのも変だが)都知事は都知事に過ぎない。元々、相手國の日本通の方々は都知事が日本を代表しているなどとは考えない。日中國交回復(fù)以來先人の知恵で棚上げしてきたことを失念してはならない。