日本新華僑報サイトによれば、10月8日、スイスのカロリンスカ研究所は、2012年ノーベル醫(yī)學(xué)?生理學(xué)賞を、人工多能性幹細(xì)胞(Ips細(xì)胞)を開発した日本の京都大學(xué)の山中伸彌教授に決定した。
これまでの30年間、自然科學(xué)分野のノーベル賞で日本は7度の物理學(xué)賞、7度の化學(xué)賞を獲得している。しかし醫(yī)學(xué)?生理學(xué)賞は、利根川博士の受賞から実際25年間も間を空けてしまった。これは日本が醫(yī)學(xué)生理學(xué)分野で「遅れている」からだろうか。実際は違う。日本人の學(xué)閥意識が足を引っ張っているのだ。
実際、日本はこれまで多くのノーベル賞にノミネートされるような研究者を輩出している。梅毒の病原體の発見で9度醫(yī)學(xué)賞にノミネートされた野口英世もそうだ。巷では1914年と1915年、野口英世は本來受賞予定だったといわれているが、第一次世界大戦が勃発したことでとうとう授賞されなかった。しかし「知っていそうで知らないノーベル賞の話」という本の著者である北尾利夫氏によれば、野田英世が受賞できなかった本來の原因は、「當(dāng)時、日本の學(xué)閥の間に強(qiáng)烈な対抗意識があり、數(shù)名が學(xué)歴があまりなかった野口英世がノーベル賞を受賞することを快く思わなかったため」という。
野口英世と同様に、鈴木梅太郎も挙げられる。第一次世界大戦前(1910年)、鈴木梅太郎は腳気の有効な治療薬であるビタミンB1の抽出に成功でノミネートされていた。しかし、北尾氏によれば、鈴木梅太郎は「東京帝國大學(xué)(現(xiàn)在の東京大學(xué))農(nóng)學(xué)部で、日本の醫(yī)學(xué)界はこれを支持しないばかりか授賞を妨害する動きをした」という。まさに、日本人のこのような學(xué)閥意識による陰濕な悪巧みは、自分の身內(nèi)のノーベル賞受賞の縁を何度も実に失わせてきたのだ。
日本のノーベル賞受賞者は、なぜ米國で學(xué)んでいるのか
「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」2012年10月15日