◇不可解な教室の番號(hào)◇
中國(guó)の數(shù)字の観念に戸惑うのは日本人だけではないようだ。毎年、9月の新學(xué)年、新しく赴任したアメリカ、フランス、スペインなど外國(guó)人教師が初めての授業(yè)で、自分の教室を探している姿をよく見(jiàn)かける。目的の教室の番號(hào)を探して追っていくと番號(hào)が一つおきに飛んでいる。廊下の反対側(cè)の教室も同じように一つおきになっている。311、313、315、317‥‥。通路の反対側(cè)には305、307、309‥‥である。すべて奇數(shù)の番號(hào)であることには気がつかない。コの字形になっている奧の方に行くと306、308、310と偶數(shù)の教室になる。奇數(shù)教室の反対の東側(cè)には偶數(shù)の教室が並んでいる。
奇數(shù)と偶數(shù)に分かれていることに気がつくまでにかなりの時(shí)間がかかる。途中に事務(wù)室や教師の休憩室などがあったりすると、“數(shù)列”は不規(guī)則になる。新任の外國(guó)人教師に訊かれて一緒に教室を探してもなかなかたどり著かない。このようなときは授業(yè)開(kāi)始が30分ほど遅れてしまう。遅れた理由を?qū)W生に説明して、日中の數(shù)字に対する考えが異なることを説明するのだが、學(xué)生は奇數(shù)、偶數(shù)の配列にそれほど違和感はないようだ。
3年前に卒業(yè)して日本に留學(xué)していた學(xué)生が、「日中文化交流會(huì)の講師」として講演をする日本の大學(xué)の先生を、中國(guó)の母校の教室に案內(nèi)したとき、講演する教室がどこにあるのか探すのに苦労していた。奇數(shù)、偶數(shù)の配列に慣れているはずの中國(guó)人學(xué)生でも、母校の教室の番號(hào)には戸惑うことがあるのを知ってなんだか少しほっとした感じがした。
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